| もののけ姫 |
 |
定価:¥ 4,935 (税込み) 価格:¥ 4,242 (税込み) OFF:¥ 693円 ( 14 %)
メディア :DVD メーカー:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント リリース:2001-11-21
発送可能時期など: 通常24時間以内に発送
ユーズド価格:¥ 3,500~ (税込み)
|
|
|
| レビュー |
時は室町時代。タタリ神の呪いを断つために旅立った勇敢な少年アシタカは、たどり着いたシシの森で、森の神々とエボシ御前が率いる製鉄集団が、バトルを繰り広げているのを知る。同じ時期、彼は、人間でありながら森の神々に味方する少女サンに出会う…。 生きるためには闘っていかなくてはいけないという、アシタカ、サンらの壮絶な生きざまを、ファンタジックなキャラクターを駆使して描いた、アニメ界の巨匠・宮崎駿監督作。構想16年、製作期間3年という力作だけあって、練りに練られたストーリーの中に、監督の哲学がしっかりと息づいている。海外でも公開され、絶賛された宮崎アニメの最高峰だ。(斎藤 香) |
|
| 関連商品 |
|
|
| ユーザーレビュー |
【絵面がださすぎる (2008-09-01)】 個人的にこの映画は好きなのですが、絵柄がださすぎるのでDVDを買ってまでして、何度も見る気になれません。 そもそも泥くさい風俗の描写をするために架空の室町時代にする必要があったのでしょうか。私はないと断言します。思想表現上の必然性もありません。 何度も言いますが、絵がださすぎます。当時の水準から見ても、です。監督は演出に専念し、絵描きには若手を起用するべきです。 あと、このDVDはほかのジブリ作品より高価ですが、二枚目の各国の吹替えは価値があります。このディスクでしかなかなか聞けない言語もあり、語学学習にはいいでしょう。 もちろん、一番凝っているのは、標準で入っている英語なのですが、今聞くと何だか棒読み気味のような気もします。 あとジャパニメーションは世界に誇れる文化などと、いい大人が言うのは止めてほしいですね。冷静に海外での興行成績を見れば、はっきりと不評で、騒いでいるのはGeekだけです。 |
【宮崎世界の深さを知った (2008-07-26)】 兎に角、この作品を観ずに人生を終えるのは許されない。そう思わざるを得ないほどに感動したのを覚えている。当時10歳だった私は意味も分からずただ単純に感動した。何を伝えたいのかは分からなかったが、「何か」に感動したのかは確かだった。今、改めて観てみると当時とは違った感動を覚えた。私の場合の感動は他の人とは異なるかもしれないのだが『生きる力を貰えた』というものだった。人それぞれに感じ方は違うのだから違う意見が出るのは当たり前だろう。私のようにただ『生きる力を貰えた』という単純なことでもいい。自分にプラスになる「何か」をこの作品で見い出して欲しい。そう強く思えるほどに、世界を代表する素晴らしい作品です。 |
【「個は全であり」「全は個である」 (2008-07-05)】 サンは言う。「よみがえっても ここはもうシシ神の森じゃない シシ神さまは死んでしまった」アシタカは言う。「シシ神は死にはしないよ いのちそのものだから 生と死と二つとも持っているもの」「わたしに生きろ といってくれた」Dパート、1657〜1660カットのシーンである。宮崎駿が1669カット積み重ねて辿り着いたシーンである。私はこのシーンの意味について、公開して11年経った今でも想いを巡らせる。未だに「こういう意味です」と胸を張って解説する自信はない。が、しかし最近になって少し「こういう意味なのかな?」という、出来事があった。そのヒントは奇しくも「崖の上のポニョ」にあった。「崖の上のポニョ」の「海」に対する宮崎氏の考えに、こんな文章がある。「誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう」この文章を読んでまず直感した。「これは人間の中に海がある」ということじゃないか?と。人間は人間。海は海。ではなく、人間は海であり、海は人間である。と。それは言葉の上では分断されているが、本当は分断できるものではない。と。お互いが、お互いに影響を与え合う、「1つのモノ」ではないか。と。話を「もののけ姫」に戻す。最後のシーンに「この観念」を持ち込むと、なにか少し理解できる。「シシ神」を「海」。「アシタカ」が「人間」。とする。シシ神はアシタカであり。アシタカはシシ神である。となる。なぜならシシ神は「アシタカの内にもある いのちそのもの」なのだから。したがって、アシタカはシシ神の一部であり、シシ神はアシタカの一部でもある。個は全であり、全は個である。それを分断できるモノではない。と。宮崎駿はその観念に行き着いたのではないだろうか。話は飛ぶが「環境破壊」という言葉が私は嫌いである。なぜならこの言葉は「人間が環境を壊している」という、思想だからだ。この「環境」の中に「人間が含まれていない」という気がしてならない。なぜ「環境破壊は人間破壊」と言わないのか?人間と自然環境は繋がっているにもかかわらず、分断されている気がしてならない。仮にも自然環境が消失して人間が消失しないのなら、まだ解る。しかし明らかに自然環境が消失すれば人間も消失するのである。それはなぜか。「個は全であり」「全は個である」から。その「当たり前」で「最も大事な観念」をこの作品は内包している。 |